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原作の「楊家将演義」とは?
「三国志演義」「水滸伝」などと並び、
中国では広く親しまれている古典文学で、
宋朝に使えた楊一族の盛衰を綴った物語です。
中国ではテレビドラマなども放送され、
京劇でも「三岔口」や「四郎探母」など、
多くの演目がつくられています。
「楊家将演義」に登場する将軍「穆桂英」は
文武を兼ね備えた魅力的な女傑である
中国においては、数ある歴史小説の中でも
一番人気のある人物です。
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<穆桂英:張桂琴> |
第一章 穆柯寨(ぼくかさい・穆一族の砦)
遼の国と戦争中の宋朝では、
遼の作った
「天門陣」に
太刀打ちできませんでした。
この陣を打ち破るためには穆柯寨(ぼくかさい)に
生えている「降竜木(こうりゅうぼく)」という神木が
必要であることを知った
楊家の当主
楊延昭(ようえんしょう)は、部下の焦賛(しょうざん)を
穆柯寨に派遣して「降竜木」を盗ませようとしました。
焦賛は兄貴分の孟良(もうりょう)を言いくるめ
一緒に穆柯寨へと向かうのでした。
<焦賛:于躍><孟良:張小山> |
<楊延昭:張春祥> |
その頃、穆柯寨領主の娘、穆桂英(ぼくけいえい)は、
暇をもてあまして狩りに出かけて来ていました。
そこに出くわした焦賛・孟良の二人は穆桂英の獲物を横取りして
代わりに「降竜木」をよこせ!と迫ります。
しかし、穆桂英は武芸の達人。
焦賛・孟良はまるで歯が立たず
コテンパにやられてしまいます。
穆桂英にかなわない二人は、
たまたま近くで見回りの任についていた
楊延昭の息子・楊宗保(ようそうほ)に
助けを求めるのでした。
焦賛・孟良は穆桂英が美人で
武芸の達人であると喧伝し、
楊宗保の興味を引いてその気にさせると
再び穆柯寨へと乗り込みます。
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<楊宗保:張冠玉> |
穆桂英と楊宗保は対峙しますが、
穆桂英は楊宗保に一目ぼれ。
罠にかけて捕えると、さっさと自分の砦に連れ帰ってしまうのでした。
第二章 穆天王(ぼくてんおう・穆家の頭領)
その後、楊宗保は穆桂英に説得され、
「降竜木」と引き換えに結婚することにします。
父親の楊延昭はそうとも知らず、
息子を助けるため身分を隠して
少数精鋭で穆柯寨へと乗り込んでいきます。
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<穆瓜:チャンチンホイ><穆天王:馬征宏>
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見回りに出た将軍の穆瓜(ぼくう)に出くわすと
問答無用で槍を一撃。
更にたまたま外出先から帰ってきた
穆柯寨の領主穆天王(ぼくてんおう)にも
戦いを挑み、打ち負かしてしまいます。
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穆桂英は義理の父になる人が乗り込んできたとも知らず、
無礼な侵入者を懲らしめようと出陣していきます。
穆桂英は楊延昭と立ち回ると、馬から突き落としてしまいます。
さんざん馬鹿にしていると、山頂から様子をうかがっていた楊宗保が
父親だと気づき「それは父親だよ!」と叫びます。
やっと事実に気がついた穆桂英は、恥ずかしそうに砦へと逃げ帰るのでした。
第三章 轅門斬子(えんもんざんし・軍門で子を斬る)
息子が自分に断りもなく結婚した上に、
部下たちの前で大恥をかかされた楊延昭は
怒り心頭。気が収まりません。
そこに楊宗保が帰ってきますが、楊延昭は
軍規を乱した罪で斬首にすることにします。
焦賛と孟良がいくら説得しても
楊延昭の怒りは収まらず、逆に
「お前たちの首も斬る!」と言いだす始末。
楊宗保は軍門に縛りあげられます。 |
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そこへ「降竜木」と軍隊・兵糧を持参し、
宗の陣営へ帰参しようとした
穆桂英がやってきます。
穆桂英は「降竜木」を持ってきた功績で
楊宗保の罪を許してくれるよう懇願しますが、
楊延昭は許しません。
機転をきかせた焦賛の一言で
穆桂英は武力行使に出るフリをして
楊延昭をひるませます。
さらに、単騎で「天門陣」を破って見せると
豪語して、楊延昭を納得させると、
自ら楊宗保を軍門から解き放つのでした。
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みどころ
本来は章のそれぞれが一本の演目であり、
京劇演目としては完結しているのですが、
日本人に馴染みの薄い「楊家将演義」の
ストーリー部分も楽しんでいただくため、
あえて区切りのよいとこまでを繋ぎ
再構成して、一本の演目に編纂しました。
時にかわいらしく、時に華やかな穆桂英。
京劇女役の中でも、文武を兼ね備えた
「刀馬旦(dāo mǎ dàn )」の魅力を
存分に楽しんでいただければと思います。 |
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